18.2.08

コソボの独立とセルビア人の行方

社長日記 - livedoor Blog 共通テーマ


リージェント・ストリートに買い物に出かけた。
いたるところでクラクションが鳴らされ、かなりカオスな状態。
サッカーW杯でイタリア戦があったときに、
たまたま居合わせたヴェローナもそうだったけれど、
お祭騒ぎとも、暴動の始まりとも取れる、おかしな躁状態を感じさせる。

町行く人の手や、車には、赤字に黒の鳥の旗。
アルバニアの旗のようだ。
今日、2月17日、独立宣言をしたコソボを祝う騒ぎだった。

ご存知のようにユーゴスラビア紛争の一部として、
コソボは、90年代後半にかけて、
NATOの空爆も巻き込んでの大紛争の舞台となった。
アルバニア人が90パーセント以上であるにもかかわらず、
スラブ系のセルビア人の支配下に置かれていたことを考えると、
独立は、ごく自然な流れではあるのだろう。
以前にたまに行っていたカフェで働いていた青年が、
コソボの出身で、
「家族旅行でコソボを離れていたときに紛争が始まり、
それ以来、家に帰っていない」と話していたのを思い出す。

さて、コソボの独立そのものは、祝福するべきことだとしても、
気になるのが、コソボの人口の7%にあたるセルビア人の立場だ。

一昨年、EUに加盟したばかりのラトビアに小旅行に行った。
バルト三国の一部であるラトビアは、
ロシアの支配下にあった期間が長く、
旧共産圏の面影もいまだとどめている。
町の人からちょっと話を聞いたところによると、
ラトビア人とロシア人との確執と人権は、
そのときどきの政治的な動きに左右され、
以前は差別する側に立っていたロシア人は、
パスポートすら発行してもらえない、という状況にあるらしい。

コソボにいるセルビア人が、このラトビアにいるロシア人と
同じような運命をたどるのではないかと、ちらりと思う。
過渡期は、まだきっと終わってはいない。


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