18.10.12

写真は語る。

本当は自分の胸にこそっと秘めて、誰にも言わない方がかっこいいのだとわかっているけれど、やはり誰かに言わずにいるには、つらいことってある。

でもかといって、これを特定の人にぶつけてしまうには、ちょっと重すぎるかも、という懸念と、「なにをセンチメンタルになっているのか」と笑われるかもしれない、という不安で、井戸があったら叫びたい、そんなこと。

だから、今日は、このブログに書きます。ロンドンの情報を期待して、遊びに来てくださった方、ごめんなさい。

今日、夕方の取材の前にちょっと時間が空いてしまったので、カフェに入った。ロンドンには、中古のカメラの修理・販売とカフェが一緒になったカメラ・カフェがいくつかあって、今日入ったのは、そんなお店のひとつだった。

取材前にちょっと腹ごしらえでもしようと、サンドイッチとお茶を頼んで、なにげなく店内を見回すと、階下に向かう階段の手前にハッセルブラッドの「カメラの歴史」という名前のついた、古びた白黒のポスターがかかっている。そのポスターがとてもすてきだったので、立ち上がってみようとしたときに、ふと、客席からは死角の位置にあたる壁に、一枚の写真が飾られているのが目にとまった。

正確に言うと、写真よりも、そのフレームに目がとまったのだ。

そのフレームは、両手を広げたくらいの大きさで、さほど大きくない。フレーム全体が壁と同じ緑色に塗られていて、とても控えめに、こそっとかけられている。フレームの右上に「CAFE」と彫られ、左下には小さな椅子とテーブルがしつらえられていて、粘土でつくられた人がコーヒーを前にノートを広げ、足を組んでペンとおぼしきものを手に持っている。フレームのなかの写真には、さきほどお茶をいれてくれた店員の男性がはにかんだような笑顔を見せながら、このカフェの窓際の席に座ってやはり目の前に本を広げているセピア色の写真。まるで、この粘土の小さな人と、テーブルを挟んでなにかを話しているかのような、そんな写真だ。

このフレームがあまりによくできていて、すてきだったので、iphoneで写真を撮っていたら、この写真のなかの彼が背後にやってきたので、びっくりしてしまった。

「店内で写真を撮らないでね」って怒られるかと思って、ちょっとびくびくしながら「このフレーム、すてきですね」と声をかけると、「これ、捨てられないんですよ」と言う。

しばし、沈黙。ふたりフレームを見る。

「これ、誰が作った作品なんですか」と私がたずねると、「僕の友人でね、今は病院にいるんですよ。もう脳死状態なんだけど。狂牛病だったんです」と言われて、言葉を失った。

「そうじゃなかったら、ゴミですよ、こんなの」と自嘲気味に言うと、「でも捨てられないんです。彼を覚えておくために」という言葉を残して、彼は奥に行ってしまった。

彼が立ち去ったあと、私はそこに立ち尽くして、しばらくその写真を見ていた。おそらく今は脳死状態のお友達が撮ったであろう、その写真を。いまはもう機能していないその人の脳裏に、一度はうつったであろう、彼の表情を。きっと親しいお友達だったんだろうな、と思った。

写真というのは、その被写体と撮影者の関係を思いがけず露呈してしまうことがある。それがあたたかくもあり、またそれが切ないときもある。それが通りがかりの見ず知らずの人であっても、なにかの拍子に、こんなふうにぱちっと同調してしまうこともある。

そこで撮った写真をここに載せるのは、さすがにはばかられるので、今日取材の帰りに彼らのことを思いながら撮った、罪のない違う写真をふたつばかり載せて、お茶を濁します。

電光の時計がついたリサイクルボックス。初めて見ました。

キングズ・クロスの駅の脇の路上にあるサイン。




2 件のコメント:

  1. 文章を通して、私も一緒にそのフレームを見つめているような気持ちになりました。日々の中でこうして小さくてもズンと心の底に沈むような出来事を誰かに話したくなる事ってありますよね。
    ロンドン、ゆっくり訪れてみたいです。

    返信削除
    返信
    1. Pigronaさん、コメント残してくださって、ありがとうございます! ただ、ちょっとかわいいフレームだなと思って、どんなアーティストの方がつくっているんだろう、って思って、何気なく投げた一言が、パンドラの箱を開けてしまったような、そんな気分になりました。

      ロンドン、ぜひ、ゆっくりいらしてください。一緒にカメラカフェめぐりいたしましょう。

      削除

お気軽にコメントをお残しください。

Please feel free to leave your comment.